成長しないって約束、した覚えなんてない。 (better) (via proto-jp) (via yaruo)
ゲームセンターが風営法で深夜営業禁止になったのは、80年代に一時期はやった「ポーカー賭博」の規制のためで、それで普通のゲームセンターまで巻き込まれたんですよね。
7月から生レバが食えなくなるのも、衛生管理がずさんだった焼肉チェーンが二点あっただけで、全国の飲食店が全て規制にあう。
ナイフで起こした事件があったら、仕事上の道具を持ち歩いてる人や、車の中にたまたま登山やバーベキューの道具を入れっぱなしにしていた人が送検されることもありました。
そして今度は0.4%と言われている不正受給のために、生活保護受給者全体が縛られようとしている。
こういうレアケースの不正や、たった一人の不届きものが起こした事件事故のために、業界全体や、関わっている全員が迷惑被る規制のあり方とか、法令の執行ということ自体を、国民はNoと言わなきゃダメなんだと思う。
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ここで思うのは、こういう形で学生が自己PRをしたとして、その内容が信頼できるかどうかお金を出す側が判断するのはけっこう難しいということだ。今回の場合、本来なら、studygiftを運営する団体リバティが審査して主張の内容を保証するべきだろう。しかし彼女は、リバティのメンバーと恋人関係にあり同棲していたとか、自身がリバティの一員であったとか言われている。こんな状態で彼女を公正に審査できるわけがない。やまもと氏がtwitterで同棲の有無を答えるよう迫っているのは、単なるゴシップ趣味ではない。
さらに、この件に関する佐々木俊尚氏の意見には同意できない。すでに述べたように、問題になっているのは正確でない情報を提示してお金を集めたことだ。佐々木氏の主張は「詐欺がバレたらお金を返せばそれ以上の罪には問われない。なぜなら私人間の問題だから」という内容に思える。
おっちゃんと姪のたとえもよくない。この場合おっちゃんが騙されても訴えずに当人同士で解決を目指すのは、姪のことを小さい頃からよく知っていて悪意がないこともわかっており(つまり、信頼は担保されている)、身内のもめ事は身内で解決するべきという感覚もあると思う。でも今回の「姪」はネットで見ただけだから、悪意があるかどうかなんて誰にもわからない。
それを除けば、佐々木氏の主張は「個人が個人を助ける仕組みがあったっていいじゃないか」ということだけで、そりゃあ別にいいと思いますよ、でもあの長文を費やして言いたいことはそれだけですかみたいな。
したがって結論としては、ネット越しに個人が個人を助ける仕組みはあっていいと思うが、支援される人が寄付に値するかどうか判断するのはかなり難しいということだ(信頼できるのは、学業成績、実績のある賞などだろうか)。お金を集めたい側には、話を盛るインセンティブがある。特にプラットフォーム提供者と支援される人が結託していたら嘘をつき放題だ。そこをしっかりチェックしないと、行きつく先は嘘八百に対して頭弱い人が投げ銭するプラットフォームだ。
この期に及んで、studygiftがきっかけになってこのような学費を払えない人を助ける寄付が盛んになればいいとか言っている人がいるが、むしろ、今後別の団体がstudygiftのような仕組みをまじめに作っても、この団体と推薦する学生は本当に信頼できるのかと疑いの眼で見る人が増え、この種の寄付行為全体にとってマイナスになった事件だと思う。
"環境という足枷 - G.A.W. (via otsune)
(otsuneから)
先日、オリコンのデイリーランキングで、「1日の売上693枚のCDが3位に入った」という話題がネットに流れ「じゃあ数百枚買えば、自分の出した“オレCD”でもオリコンのランキングに入ることができるのか!」と、大いに注目を集めました。
かつてバンドブームの時期に青春を過ごし、ミュージシャンを夢見て東京に出てきた過去を持つ私にとっても、感慨はひとしおの話題です。もっとも、某拙著などはデイリーどころかオールタイムで数百部しか売れず、出版界でも稀有な黒歴史となっており、まったく笑っている場合ではありません。
私が末席を汚す出版分野もご多分にもれず低迷がささやかれ、人様のことを心配している場合ではないのですが、音楽産業も「若者のCD離れ」といった話題で、不振がしばしば報じられます。原因は複雑だろうと思いますが、私はその理由のひとつとして、音楽産業が「中二病」の変化に対応できていない。現代の「中二病」にキャッチアップしていないのが大きいのではないか、と思っています。
「中二病」。それは思春期を過ごす少年少女の特有の、肥大した自我についてまわる青い妄想や幻想を指します。ネットを通じて流通し、今では一般社会にまで浸透するようになった言葉だと感じますが、しかしもともとこうした思春期の「イタい心情」は、人間の歴史に普遍的に見られるものであり、昔から発症しアウトブレイクしてきた病でした。そして本来、音楽産業はこうした思春期的心情をよく汲み上げ、いわば思春期産業として機能してきたものでした。
しかしかつての中二病。「中二病」という言葉が成立する以前の中二病は、今と変わらないようでいて、結構違います。それは「若さゆえの理想主義」「社会への反発」「反逆ののろし」といった空気が濃厚で、「反抗期」などとも呼ばれました。そしてこうした気分は、もちろん娯楽分野にも濃厚に反映されていました。
たとえばアニメーションの巨大ロボットもの。中でも1979年に放映された「機動戦士ガンダム」などでは、少年が白い巨人と出会うことで、愚かな大人たちが起こした戦争に反発しつつも、巻き込まれる。そして社会を変革する(かもしれない)力を手に入れます。
この構造は1985年放映の「機動戦士Zガンダム」でさらに顕著になり、あの作品の主人公は「そんな大人、修正してやる」という有名なセリフを叫びました。
話がマニアックになり過ぎて申し訳ないのですが、「ガンダム」シリーズの監督、富野由悠季氏が1989年に発表した小説「閃光のハサウェイ」では、連邦の大人たちがつくった秩序に反発する組織にモビルスーツガンダムが与えられ、腐った社会を破壊する闘争が開始されます。私などはこの作品において「少年が巨大なパワーを持つロボットを手に入れ、社会を改革しようとする」という物語は、ひとつの典型に達したと感じます。
音楽産業もまた、もともとロックという分野が、ジャンル丸ごと「既存の社会体制や権力への反発」というテーマを持ち、青い暴走と反抗を全肯定する分野だったこともあって、こうした思春期的な心情を汲み上げることを、むしろ得意としてきました。バイクを盗んで走りだしたり、大人のつくった秩序から卒業してみたり、自由に向かって発砲しながら列車に乗ったりして、思春期を迎え、若者ゆえの理想のために大人の世界の秩序に反感を感じていた少年少女たちの心を、鷲づかみにしたものです。ある意味、音楽産業と中二の幸福な時代でした。
しかし現代社会では、こうした思春期的心情もずいぶんと変化してしまいました。現代において「中二病」というと、社会への理由なき反抗よりも自分自身が焦点。具体的な例でいうと、自分自身のバックボーン(この世界の邪悪なものと戦う選ばれし戦士)や、それにともなう能力(邪気眼に代表される超常のパワー。悪を見抜く眼力や、手の平からビームが出るなど単純なものが多い)などの妄想を指します。
これをこじらせると、たとえば友人に「やめろ。その程度の攻撃で俺は倒せん。死ぬぞ」などとささやいてしまったり、天候が悪化して黒い雲が空を覆うのを見ただけで、「ついに来たか。覚醒の刻(とき)が」などとつぶやいてしまったりするようなハメに陥ります。この病は罹患しているときはほとんど自覚症状はない。しかし寛解した後に思い返すと「アアーッ」と絶叫してしまうという、恐ろしい病気です。現代の「中二病」は、こうしたファンタジックな空想に、重点を移してきました。
こうした「現代中二」的心情を汲み上げることは、もともとどちらかというとリアルが充実した人々向けのメジャーエンターテインメントであった音楽産業では、本質的に難しいのでしょう。逆に、得意とするのがライトノベルであり、この分野が出版界の中で相対的に注目を集めているのはもっともなことだと感じます。
逢いたくて逢いたくてとまらない現代の音楽産業が、どうも恋愛過多に感じられるのも、かつては得意にした青い「理由なき反抗」がもはやメジャーエンターテインメントとしては通用しづらくなった。かといって会社の偉い人たちには、ロックは理解できても現代的中二は理解できない。そのために音楽産業への大切な入口である思春期の少年少女の心をとらえることができていないのではないかと思います。
少々暴論ですが、日本のヒップホップが往々にして人に感謝してばかりいたり、愛を語る「文系ヒップホップ」に傾斜しがちなのも、「政治家こそがよっぽどギャングスタじゃねーかYO!」などと叫ばれても、ちっとも現代中二的な感性にはピンとこないためではないかと思っています。私はこれを日本のラップにおける「悪いヤツみんな友だち」の呪いと呼んでいます。
ただ「音楽産業にとって現代中ニは不得意」と書きましたが、それは「“音楽”が現代中二を不得意にしている」という意味ではまったくありません。全然そんなことはなく、たとえばアニメーションの主題歌や、特に声優さんたちの音楽。それにヴィジュアル系バンドなどは、こうした現代中二的ファンタジーを音楽として汲み上げており、熱く支持されています。紅白歌合戦に声優さんが登場するようになったのも、必然の流れでしょう。
さらに、ニコニコ動画にアップされる初音ミク音源作品なども、2次元キャラを依り代に伝えられるその歌詞がしばしば現代の若者の思春の心情を背景にもっており、この分野が支持される理由は、実はボーカロイドのポテンシャルだけではなく、既存の音楽産業では経験のできない世界観も大きいのではないかなと思っています。初音ミクさんの紅白登場が待たれるところです。やるなら今年がよいのでは? もちろん赤組で。
こうした中二病の症状の変化は、よく言われる「大きな物語」の終焉が原因で、大人のつくったとされる社会秩序が反発するほど強固なものではなくなったためなのかもしれません。また、グローバル化が進み、ローカルな伝統や規範が希薄になって、あまり抑圧を感じさせなくなってしまったためもあるでしょう。
先に例に出したロボットアニメでも、1995年放映の「新世紀エヴァンゲリオン」では、ロボットが革命の武器というよりは、もはや嫌がる少年を無理やり搭乗させ、いやが応でも社会に直面させる装置というように変化していました(そしてその巨人は、場合によっては少年をくるみこむ、暖かいモラトリアムの繭ともなりました)。ちなみにこの作品以降、社会現象とまでなるロボットアニメは現れてはいません。
しばらく前に「大人になった自分が思春期のころにハマッたものを回顧する」という懐かし産業が、注目を集めたことがありました。現代ではそれを通り越し、思春期の心のまま大人になった人向け産業に重心が変わり始めているようです。私のまわりにも、部署の偉い人が異動になっただけで「王位継承」などと、訳のわからないことをいう大人がいます。いや人ごとではありません。
私自身は、ロックですらもなく「遅れてきたATG世代」みたいな思春期で、当時の「芸術家の人生は緩慢な自殺なのだよ」といった発言は、思い出すだけで恥辱死していまいそうになります。今ここにタイムマシンがあれば、乗って出かけて当時の自分を抹殺することに躊躇はないでしょう。
そんな私ですが、昨年、さえないサラリーマンが中学生に転生し、美少女哲学者の講義を受けるなどという小説を書いたせいか、どうも中二脳に毒されてしまったようです。つい先日もテレビで「サルコジ氏を破ってオランド氏が当選」というニュースを見ただけで「そうか……。世界はヤツを選択したか」などと思ってしまいました。
ただ、こうした症状は世界的にアウトブレイクしており、海外作品でも「狼族ライカンとヴァンパイアがどうたらこうたら」とやっているのを見ると「あちらの中二も変わらないなあ」と感じます。よくも悪くも中二病とつきあうことは、現代人にとって大切なテーマになりそうです。
この原稿が「どんな敵も俺を退屈させてばかりだ。おまえは俺を満足させてくれるのか」と思っているあなたの、刹那の興奮となることができたら幸いです。
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具体的に年収がどれくらいで、どんな生活水準の持ち主なら
困窮している家族を養う「義務」があるのか。
法律で明確な定めはないのが現状なのです。
さらに突っ込めば、そもそも国はいま国民の所得を正確に捕捉できません。
だから生活保護を受ける人も、それを扶養する人の生活水準も精査できず、
曖昧なままのグレー受給が横行しているのが問題であると言えます。
これを解決するには、
1.国民IDの導入
2.「歳入庁」のような組織を作り、国民IDを用いて所得を極力正確に捕捉する
3.生活保護と扶養能力の基準を作り、それに基づき受給を決定する
というステップが必要になります。
しかしながら、
国民IDの導入では「国民総背番号生だ!国家統制だ!」という批判が巻き起こり、
歳入庁の創設には、税収管理という権限を手放したくない財務省が猛烈に反発し、
生活保護の基準を作れば、水準以下の人々が一斉に生保に走りパンクする恐れが出てくる
など、ざっと考えただけで
政治的なハードルは極めて高いと言わざるを得ません。
しかしながら、今後の日本の社会保障において
この問題はいずれにせよ避けて通れないのです。